名古屋家庭裁判所 平成9年(少)2237号 決定 1997年9月08日
少年 M・N(昭和55.7.15生)
主文
少年を中等少年院に送致する。
理由
(犯行に至る経緯)
少年は、実父母が昭和60年7月に離婚した後、親権者となった実母であるM・K子(以下「K子」という。)と2人で生活するようになったが、少年は、K子から時には体罰を受けるなど厳しく接せられたことや、K子が仕事が多忙であることなどから少年の面倒を十分に見てくれないことに対して不満を募らせ、次第にK子に対し憎しみを抱くようになった。
少年は、中学校1年生の2学期ころから登校しなくなり、2階の自室に閉じこもる生活を送るようになり、K子と一緒に食事をすることも、会話をすることもなく、K子が、少年の食膳を1階の台所に置いておき、少年は、これを2階の自室に持っていって食し、食器を1階に返すという生活をするようになった。
少年は、平成9年2月ころから、深夜に大きな音でラジオをかけたり、大きな声で怒鳴ったり、部屋の壁を叩くなどしたが、K子が、少年を顧みてくれず、相変わらず少年に愛情を示してくれないとして憤慨し、K子に対する憎悪の念を募らせた。
少年は、同年5月27日夜、K子が、自宅の階段の上がり場付近に「夜中に大きな音でラジオを聞くことを止めてくれ。警察が何度も来た」などと書いた貼紙をしたことに対し、激昴して「警察がなんだ、呼ぶなら呼んでこい。」「お前が悪い。お前が悪いからこうなった。警察を呼んでこい。」などと怒鳴り、K子に対する殺意を抱いた。
(罪となるべき事実)
少年は
第1 実母M・K子(当時43歳)に灯油を掛け火を放って焼き殺そうと企図し、平成9年5月28日午前7時50分ころ、名古屋市○○区○○町×××番地同人方において、家屋1階で就寝中の右同人の身体に灯油を浴びせ、「お前を殺してやる」などと怒号し、所持していた簡易ライターで数回着火し、その身体に燃え移らせ火傷により殺害しようとするも、同人の抵抗に遭ったことなどからその目的を遂げなかった
第2 同日同時刻ころ、今までの閉塞した生活の嫌な思い出を消し去りたいなどの心情に駆られ、住居を焼失させようと企て、廊下に設置された洗面台付近の床に敷いてある少年によって灯油が散布されたマットに簡易ライターで着火させ火を燃え上がらせ、その火を柱、天井等に燃え移らせ、もってM・K子が現に住居として使用する木造瓦葺き2階建て住宅の1階部分床面積約66・24平方メートルを焼損した
ものである。
(法令の適用)
第1の行為について 刑法203条、199条
第2の行為について 同胞108条
(処遇の理由)
1 少年の家庭環境、生活史、学業関係、性格行動傾向等は当裁判所調査官作成の本件に関する少年調査票及び名古屋少年鑑別所作成の少年に関する鑑別結果通知書記載のとおりであるから、ここに引用する。
2 なお、本件非行当時の少年の刑事責任能力について検討する。一件記録によれば、少年は、実母が仕事が忙しいとして少年に対し十分な愛情を示してくれなかったことや、実母が少年に対し厳しく接してときには体罰をもって臨んだことなどから、実母に対して憎悪の念を抱くようになり、本件の2、3か月前ころから少年がことさらに深夜に騒いだりしても、実母が一向に少年を顧みてくれないことなどから実母に対する憎悪の念を募らせていたところ、本件非行日の前日の夜に、実母の書いた貼紙を見て激昴し、殺意を抱いて本件非行に至ったものであって、本件非行の動機は、了解可能であるとともに、少年の非行前後の行動に了解不可能な異常性は無く、非行時に少年に幻覚、幻聴等の症状は認められない。また、少年の非行自体及びその前後の行動、非行現場の状況等についての記憶も比較的明確である。さらに、鑑定人○○作成の鑑定書においても、少年の精神状態について、少年の知覚や思考過程に逸脱が見られないことなどを理由として精神病は否定されている。以上からすれば、少年には、強迫性格、対人恐怖等の特徴が窺われることはともかく、少年が、本件非行当時、刑事責任能力を有していたことは明らかである。
3 そこで、少年の処遇について検討するに、本件非行は、実母に対する殺人未遂ならびに現住建造物等放火という重大事犯であること、少年は、中学1年生の2学期頃から不登校の状態となり、家庭においても自室に閉じこもり、保護者である実母とも年齢相応の親子関係を全くもたず、精神病は否定されるものの、少年の人格、社会性は極めて未熟で、その自己中心性は顕著であり、対人不信感は根強く、かつ、他者に対して操作的に振る舞う傾向が強く認められ、人間関係を形成することが非常に困難であること、少年は、本件非行に至ったのは少年をそうせざるをえない状況にした実母に責任があると述べるなど本件非行を内省するに至っていないこと、少年の実母に対する不信感は現在でも根強く、他方、実母も少年に対する嫌悪感並びに恐怖心を拭えない状態にあり、少年との適切な親子関係を築いていくことが困難であること、少年の実父は、長年少年と別居の状態にあり、また、実父が少年を監督する場合には養育費を捻出するように実母に対し要望するなどその監護能力には疑問があることが認められる。
以上に鑑みれば、少年については、在宅処遇は困難であり、施設に収容した上で、社会性を習得させ、少年の人格的成熟を促すために強力な働き掛けが何よりも必要であり、少年の人格面の問題及び社会的な成熟度に徴すれば、更生には通常の長期処遇よりも相当期間長期間の処遇課程における矯正教育が必要であると思量する。
なお、少年に対する矯正教育にあたっては、少年の前記資質等に鑑み、精神科医等の専門的な立場からの助言等を受けるのが適切であると考えられることから、中等少年院送致としつつも、上記専門的立場からの助言等を得やすい施設で処遇することが適切であるとともに、少年について医療措置の必要性が生じた場合には医療少年院に移送することも考慮するのが相当であると思量する。
よって、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用して少年を中等少年院に送致することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 坂本寛)
〔参考1〕 処遇勧告書<省略>
参考2 抗告申立書
抗告申立書
少年 M・N
上記少年にかかる名古屋家庭裁判所平成9年(少)第2237号殺人未遂、現住建造物等放火保護事件について、平成9年9月8日、「少年を中等少年院に送致する」旨の決定が下されたが、この決定については不服があるので、以下の理由により抗告を申立てる。
平成9年9月18日
上記少年附添人弁護士 ○○
名古屋高等裁判所 御中
記
抗告の趣旨
原決定には、処分の著しい不当があるので、原決定の取消を求める。
抗告の理由
第1鑑定結果の不当性について
1 本件は、既にひとたび鑑定留置が決定され、○○病院の○○医師により、精神鑑定書が提出されているところである。この鑑定書によると、少年は非社会型人格障害であるも、現在及び非行当時少年は何らの精神病を患っていたことはないとの鑑定意見がなされている。そして、原決定もこの鑑定結果をもとになされている。
2 しかし、この鑑定は次の理由でにわかに措信できないものである。
すなわち、精神鑑定は、脳波・心電図・生化学検査等の理学テスト、心理テスト、及び問診(カウンセリング)の3種類の検査を柱として、それらの総合的評価により鑑定結果が出されるものである。そして、心理テスト及び理学テストは鑑定の早期になされ、それらをもとにカウンセリングをして当該被験者の精神状況を明らかにすることとなる。逆に言うと、心理テストを経ることなく、いたずらにカウンセリングを繰り返しても、当該被験者の言動の真に意味するところは鑑定しえないものである。
しかるに本件をみると、少年の場合、心理テストはわずかにロールシャッハテストを途中まで受けたのみであり、バームテスト等、その他必要な心理テストを経ることなく、鑑定結果が導かれている。とするなら、本鑑定結果は、単に少年の表面的言動のみから鑑定者の主観と直感のみに依拠してなされた可能性が非常に高いものである。
たしかに少年はこれまで本鑑定に協力的ではなかったが、今後は自ら進んで鑑定に協力すると言っており、再鑑定が功を奏する可能性は非常に高い。
3 鑑定人は、鑑定留置期間の比較的早い時期から少年が精神病ではないとの評価をされているようである。しかるに少年は、○○病院の第一病棟(重症患者用)に鑑定期間の最後まで収容され続けてきた。同病院には、第二病棟(老人・痴呆症)、第三病棟(軽症者用)と区別されているものであるにもかかわらず、なぜ鑑定者は本件少年を最後まで第一病棟に収容し続けたのかについても、疑問を禁じ得ない。このことも少年が鑑定者を信用しきれなかった一因となっている。もとより精神鑑定は、鑑定者と被験者の信頼関係を基礎としなければ、被験者の深層心理や精神状況を把握することはできないものであるにもかかわらず、本鑑定人は、最初から最後まで少年との信頼関係を構築することができなかったものである。
4 このたびの鑑定が以上のような状況のもとでなされたものであること、及び本件少年が何年もの間、ほとんど自宅から外に出ないという生活を継続しており、少なくとも本鑑定も少年が全く正常ではなく、非社会的人格障害であることは認めていること等を勘案すると、本件少年の処遇については、慎重の上にも慎重を期さなければならないと言わざるを得ない。
とするなら、本件少年に心理テストを受けさせたうえ、別の鑑定人に精神鑑定を再度させることが必要であると思量できる。よって、本精神鑑定書に基づいてなされた原決定は取り消されるべきである。
第2処分の不当性
1 少年は、原決定により中等少年院送致を言い渡された。しかし少年は、本件以前2年以上もわたり、ほとんど家から外出したことがなく、他人と会話を交わしたことも皆無であった。その少年を中等少年院に送致したところで、集団生活になじんで少年が更生する可能性はほとんどないと言うべきである。
現に少年が鑑定期間中に入院してた精神病院においても、僅かに2ヵ月の間に同室の者と口論をしたり、食事すら摂取することができなくて点滴で栄養補給することを余儀なくされている。
2 右事情を考慮すると、むしろ少年には一定限度今後も裁判所の監督下においたうえで、親元からしかるべき精神病院等に通院させ、少年の非社会的人格障害を治療して徐々に少年の社会性を回復していくことが必要であると考える。
3 母親については、少年の本件行為により、極度の不安感と恐怖感を抱いているため、今後の少年との同居生活は耐えられないものと思われる。
しかし、父親については、幸い少年も父親になついている。また父親は以前アルコール依存症があったが、既に7、8年前からは完全にこれを克服し、現在は飲酒することもほとんどなく、以前のような幻覚・幻聴等の諸症状も発生していない。父親は、今後は少年を自分が十分指導監督して少年の人格障害を改善することを誓っている。
4 少年には、これまで非行歴は全くなく、不良グループとの交際もない。これまでほとんど社会と接触する機会がなく、免疫性のない少年をいきなり中等少年院に送致することは、少年をいたずらに周囲の者に感化される機会を与えるようなものであり、本処遇は少年の更生にとって不当なものである。
5 少年は本件を深く反省している。たしかに逮捕直後においては、何度でも同じことを繰り返すようなことを少年は供述していたが、現在は「どんな事情があろうと決して許されることではないことをしてしまった」と言っている。
この少年の反省の情を考慮すれば、少年が同じ過ちを繰り返すことはないものと思量できる。
6 とするなら、一刻も早く少年の非社会的人格障害を取り除いてやり、健全な社会生活を送ることができるようにしてやることが少年の更生にとって最も必要なことといえ、そのためには、少年院に送致することではなく、裁判所及び父親の保護のもとで、しかるべき病院に通院させてやることこそが必要であると思量される。
第3結論
よって、原決定はいかなる意味においても不当であり、取り消されるべきである。
添付書類
第1号証 父親の上申書<省略>
以上
〔参考3〕 抗告審決定(名古屋高 平成9年(く)59号H9.9.30決定)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、少年及び付添人作成の各抗告申立書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 精神鑑定の不当性について
少年及び付添人は、原決定手続で行われた精神鑑定について、検査項目が十分でなかったこと、鑑定人が少年との信頼関係を築けず、少年が十分言いたいことが述べられなかったことなどから、信用性に乏しく、これを基にした原決定は不当である、という。
しかし、一件記録を検討してみると、右鑑定は、約2か月間をかけ、少年を鑑定留置した上、鑑定人において、少年との面談のほか、脳波、心電図、心理、生化学の各検査を行い、これらの結果に一件記録も併せ、十分な資料を検討してなされたものである。また、少年が、もっと僕の話しを聞いてほしい、などと、病院側への不満を述べたことがあったと認められるが、他方、鑑定人が少年から鑑定に必要と思われる点について十分聞き出していることも認められるから、右少年の不満をもって鑑定方法を非難するのは当たらない。そして、非行当時も検査時も少年は精神病に罹患しておらず、非行当時是非を弁別し、それに従って行動する能力があった、などとする結論も、本件各非行の動機、態様等に加え、鑑別結果等に照らし、十分首肯できる。
本件精神鑑定に所論の問題点はなく、論旨は理由がない。
二 処分の不当性について
付添人は、少年を中等少年院に送致した原決定は不当である、という。
しかし、本件は、母親を焼き殺そうとして、灯油を浴びせ、簡易ライターで火を付けようとした殺人未遂と、母親に逃げ出された後、灯油が散布されたマットに簡易ライターで着火させて放火し、母親の住む住居の一階部分全部を焼損させた現住建造物等放火の事案であって、極めて重大な非行である。その上、少年が中学1年生の2学期ころから全く登校せず、3年間以上も自室に籠もって、母親ともほとんど会話をしない状態を続けてきており、社会性が未熟で、自己中心性が顕著であり、対人不信感が極めて強いなど、少年のもつ問題性が深刻であることは、原決定が説示するとおりである。したがって、少年にはこれまで処分歴がないこと、少年が反省していること、少年の父親が指導監督すると述べていること等の事情を考慮しても、少年を在宅で処遇するのは極めて困難であり、施設に収容の上、社会性を習得させるとともに、家族との関係を見直させるなどの教育をする必要があることが明らかである。中等少年院に送致した原決定は相当であり、論旨は理由がない。
よって、本件抗告は理由がないから、少年法33条1項後段、少年審判規則50条により主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 土川孝二 裁判官 片山俊雄 河村潤治)